創業を思い立つまで

文京子育て不動産になるまえ

文京子育て不動産は、以前は父が経営する株式会社カワダでした。
国道17号線、中山道に面した店舗でシャンプーや化粧品を販売しておりました。
売上があまり伸びていないのがもったいないと思い、
祖父に交渉して事務所スペースの3分の1を賃貸させてもらうことにしました。

不動産屋さんになったわけ

私が不動産屋さんになったわけは、3つありました。

  1. 地元の、特に子育てをしている家族に貢献したい
    地域に密着して、都会で子育てをする家族を応援したいと思いました。
    私自身、すぐ近くの本駒込に住んでいて、文京区の子育て環境はとても素晴らしい
    (ただ、家賃が高いのでちょっと狭くなりがちで工夫が必要です)
  2. たまたま宅建を持っていた
    以前体調を崩してツリーハウスを一人で作っていたことがありまして、
    その時に土地を貸してくれた大家さんの助言で、宅建の試験を受けて合格していたのでした。
  3. 日曜大工・大家さんの経験を活かしたい
    趣味で日曜大工(地方にボロ家を購入して、DIYで直して賃貸する)をしていまして、
    不動産屋さんになったら、この経験を差別化として活かせると思いました。

祖父の反対

ところが、昭和一桁年生まれの祖父にとって、不動産屋さんは
高度成長の波に乗って手汚なく金儲けをした悪徳業者に見えたのでしょう。
「そんな」仕事は、やめておけ。
猛反対されました。

反対されるにはもうひとつ理由がありました。
私は、前述の株式会社カワダで勤務しており、
常識的に考えれば長男である私が跡取りとなるべき存在だからです。

毎日のように、ビジネスのビジョンを語り、地域の役に立ちたいんだ、
同時に、子育てを楽しみながら仕事がしたいんだ!と、語り続けました。

動き出したのは祖母でした。
「いい加減、はっきり答えをだしたらどうなの。」
祖父に何度も言ってくれたようです。
やがて、やってみろ。という祖父のGOサインが出ました。

祖父の死

ようやく、開業に向けて動き出したのが5月。
9月には開業する、という内容の、賃貸借契約書を交わしました。
契約書と言っても、孫子の関係ですから条項は非常にシンプルで、
祖父でも読みやすいようにものすごく大きなフォントを使いました。

契約を交わして何日も立っていないと思います。
ある日、風邪を引いたかに見えた祖父は、食べたものを全て吐き出してしまいました。

その日から9月11日まで、
祖父は少しの水分以外は口にすることができませんでした。
彼はゆるやかな坂を転がり、
花でいっぱいの棺の中に収まりました。

10月24日開業

結局、文京子育て不動産として開業したのは、2ヶ月遅れの10月末頃。
記念日を覚えるのが苦手なもので、妻の誕生日と同じ日にしました。

「不動産屋さんのイメージが変わったよ。」って、
何度も意見を戦わせた祖父にをあっと言わせることがかなわなかったのがとても残念です。
きっと天国で見ていることと思い、今日も仕事をしています。

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